封建時代の礼儀作法は、明治以後も、封建時代の身分制度や家族制度が、多少形を変えて残ったため、伝統的な美風であり、もっとも正しい礼儀作法であるとして、墨守されることとなりました。
そのため、たとえば、警官は良民に対しても、〈オイコラ〉式の高飛車な物言いをしてはばからず、良民もまた、屈辱をこらえて、〈ヘェ、旦那〉式に相手を奉るというようなこともおこなわれ、男女の関係にしても、女性がなにか自分の正しいと思うことを発言しても「女のくせに出しゃばるな」と押さえられ、反対に、なにか正しいと思うことがあっても、「わたしは女ですから、むずかしいことはなにもわかりません」といった態度で控えているほうが、〈女らしく、つつましい〉としてほめられるというふうだったのです。
つまり、第二次大戦が終わるまでの日本の礼儀作法は封建的な身分制度や家族制度に立脚し、官尊民卑、男尊女卑、子は親のもの、召使いは主人に従属するものといった誤った思想を背景としたもので、封建時代の礼儀作法と、さほど遠いものではなかったのです。
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