本田技研の本田宗一郎氏は、社会に出たてのころの仕事ぶりについてこんな体験をしている。
本田氏は小学校高等科を卒業すると、自動車の勉強をしようと思い、自動車修理工場に就職した。
ところが与えられた仕事は、明けても暮れても主人の子どもの守りをすることだけだった。
そして、手に握るものはスパナやハンマーではなく、すり切れた雑巾とバケツだった。
大きな夢を胸に抱いて上京した本田氏にとってあまりに残酷な現実だった。
二、三カ月して失望した本田氏は、郷里へ帰ろうと幾度か行李に荷物をまとめた。
しかし、「ものごとは考えようだ。毎日こうして好きな自動車を眺めたり、その機械の構造を見るだけでも、幸せではないか」と気づき、半年も頑張ると、工場を手伝えるときがやってきたという。
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