歴史の教科書でだれもが見たことのある縄文式土器が発掘されていることから、少なくとも紀元前4000年(1万年とする説もある)頃には土器がつくられていたことがわかる。
奈良時代には中国から粕薬をかけて焼く方法が伝わり、陶磁器は生活用具として用いられていた。
平安時代に入って、東海地方を中心に陶磁器は転換期を迎える。
窯によって制作するものの区別がなされたのである。
その結果、日常生活に用いられる壺、瓶、すり鉢などを焼く窯と、高級什器を焼く窯の2つが現れた。
室町時代に茶の湯が流行すると、茶碗、水差しをはじめとする1連の茶道具がつくられるようになり、陶工たちは「佗び」を意識した作品づくりに励んだ。
また、備前、丹波、信楽などでも、地方色豊かな陶磁器が製作されるようになったわけだが、その背景には、各窯ごとの技術が外部に流失するのを防ぐための、厚い厚いガードがあった。
江戸時代には上絵づけが始まり、やがて焼き物の主流となっていく。
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